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東京高等裁判所 昭和31年(ラ)771号 決定

抗告人 中川義三

相手方 外池寅松

主文

本件抗告はこれを棄却する。

理由

抗告の趣旨及び理由は別紙記載の通りである。

そこで考えてみるのに、抗告人が昭和二九年九月一三日本件家屋を安藤喜三郎から賃借し、本件仮処分執行の日である同月二五日の当時においては、抗告人が右家屋に居住し、日本橋ナイロン専門店なる商号で営業をしていたものであつて、当時右家屋が抗告人の占有下にあつたことは、抗告人提出の甲第一号証(日本橋警察署日本橋巡査派出所受持通知簿)、同第五号証(念書)、同第六号証(敷金預り証)、同第八号証(賃貸借契約書)の各記載に原審証人矢野久子の証言及び抗告人本人の原審供述を総合すれば、その疏明があつたものと認めて然るべきである。

しかし本件執行の債務名義である仮処分命令は相手方を債権者とし、安藤喜三郎を債務者とし、安藤の本件家屋に対する占有を解いてこれを執行吏の保管に移し、現状不変更を条件として債務者の使用を許す趣旨のものであるが、その執行当日である昭和二九年九月二五日には、執行の対象である本件家屋には債務者たる安藤喜三郎も抗告人も不在であつて、執行吏は当日同所にあつた矢野久子の陳述状況より、同人を安藤の使用人と認め、右家屋は安藤のみの占有にかかり、他に第三者の占拠なきものと認めてその執行をしたものであること、抗告人提出の甲第七号証(不動産仮処分調書)及び証人矢野久子の原審証言に徴し明かである。そして右証言によれば、矢野久子は当日執行吏に対し、本件家屋が抗告人の占有中にあることは一言もせず、執行吏のいうままに執行調書に署名拇印したことが明らかであり、また抗告人本人の原審供述によれば、右執行の当時本件家屋には「日本橋ナイロン専門店」なる看板は掲げてあつたが、抗告人の標札は掲げてなく、その標札は昭和三一年初頃になつて漸く掲げられたものであり、また抗告人は右執行のことをその執行後二日余りして矢野より聞いて知つたが、当時あまりこれを気にせずそのまま過していたものであることが認められ、抗告人の本件異議申立が仮処分執行の日である昭和二九年九月二五日から一年九ケ月余も後の昭和三一年七月三日に至つてせられたものであること本件記録に徴して明らかである。そしてまた他面相手方提出の乙第一号証(判決)によれば、安藤喜三郎は相手方より同人に対する本件家屋明渡の訴訟において、右家屋が同人の占有するところであり、昭和二九年九月一六日から開いた同家屋における営業も同人の経営するものであることを認めている事実が明らかである。そして右各事実は、本件家屋が前認定のように、昭和二九年九月一三日以降は抗告人が安藤から賃借したものであり、右家屋における営業も抗告人の経営するところであつて、本件家屋の占有が抗告人にあつたものとすれば、何等か特殊の事情のない限り起り得ない異常の事態と考えざるを得ないのであるが、この点は抗告人提出の前示甲第五号証及び同第八号証から次のように考えるのが相当であろう。甲第八号証は安藤喜三郎と抗告人間の本件家屋についての賃貸借契約書であるが、右両名は右契約書において、抗告人は右家屋が訴訟中(右訴訟とは本件全記録に徴し、相手方より安藤に対する右家屋の明渡訴訟及び安藤の滝金雄に対する仮処分の執行についての相手方よりの異議訴訟を指すものと解する)であることは承知済であるが、安藤は抗告人に最短期限一ケ年の建物使用を保証し、万一右期間内に保証不可能な事態が起つた場合については別に保証方法を定める旨を記載し、甲第五号証の念書を以て、右家屋に関係ある第三者の営業妨害、明渡要求等により抗告人が営業不能となり、一ケ年以内に明渡す場合は、抗告人より安藤に預けた敷金一〇万円に損害金一〇万円を加えて返還する旨が約せられており、更に右賃貸借契約書においては、その末尾において、本件家屋の使用について、安藤と抗告人両者の了解の下に、実際は抗告人の単独使用であるが、家屋の使用名義はこれを安藤の名義とすることが約せられているのである。即ち、抗告人は本件家屋が安藤と相手方との間で繋争中のものであつて、何時明渡を要求せられるか分らないことを十分承知の上でこれを賃借したものであり、しかもその使用名義は表面上これを安藤の名義とすることを約していたのであつて、さればこそ前記のような各種の異常な事態が生ずるに至つたものであり、しかも右事情からすれば、右事態また敢て異とするに足らないことが了解できるのである。

そこで右特殊の事情の下において、本件執行時における前記矢野久子の態度を如何に解すべきであるか。一般に本件のような不動産の占有に関する仮処分の執行は、その仮処分命令における債務者以外の第三者の占有中の物に対してはこれをすることができないのであるが、その占有が債務者にあるとの執行吏の認定に対し、第三者において何等の異議もなくその執行を許容した場合においては、その執行には手続上何等の違法もないのであつて、第三者が自己の占有中にあることを理由として民事訴訟法第五四九条による第三者異議の訴を提起することのできるか否かはとも角、同法第五四四条による執行方法に対する異議はこれを許さないものと解しなければならない。そして本件執行時において抗告人が不在であつたことは前記の通りであるから、抗告人自身が本件仮処分の執行につき、明示的には勿論、黙示的にもこれを承諾した事実のないことはいうをまたない。しかし、実際の使用は抗告人がするが、その使用名義だけは安藤のものとすることが約せられていた本件特殊の事情の下にあつては、抗告人の使用人であり、その留守を守つていた矢野久子(この事実は証人矢野久子の原審証言及び抗告人の原審供述により明らかである)が、本件仮処分の執行に立会いながら、本件家屋が抗告人の占有であることについては一言もせず、執行吏の言のままに執行調書に署名拇印した態度は抗告人と安藤間の右契約関係を反映したものであり、右約定に従わんとした抗告人の意を受けて右の態度に出たものと認めるのが相当であつて、結局抗告人において、その留守居中の矢野久子を通じて、本件仮処分の執行を黙示的に承諾したものと認むべきである。矢野久子が本件執行当時まだ一九才の弱年の婦女であつたことは本件記録によりこれを認めることができ、また同人は原審証言において、執行調書に拇印したのは、印を押すことは少しも同人に関係のないことだというので、内容の分らぬまま拇印したものといい、また総体として本件執行のことについては、殆んど意味が分らなかつた趣旨の証言をしている。しかし的確な意味が分らなかつたにせよ、同証人の証言の通り、裁判所の人が来て壁に何か紙を貼つて行き、しかも同人に書類に署名拇印までさせたとあれば、同人自身には関係はないといわれたにしても、同人にとつては相当大きな経験である筈であり、また主人である抗告人にとつては相当重要な問題である位なことは分つた筈である。然るに同人が右の出来事を抗告人に報告したのはその執行直後でなく、二日余りも後のことであつたというのである。そうすれば右出来事は同人にとつても、その不意の出来事でもなく、驚くべきことでもなかつたものと考えるのが相当であつて、同人の右証言部分も予め抗告人からの意を受けていたとする前記認定を妨げる資料とはならない。

そうすれば抗告人の本件異議申立を棄却した原決定は結局相当であるから、主文の通り決定する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 山下朝一)

抗告の趣旨

原決定はこれを取消す

東京地方裁判所執行吏が昭和二十九年九月二十五日債権者外池寅松対債務者安藤喜三郎間の東京地方裁判所昭和二十九年(ト)第二一二号仮処分命令事件の決定正本にもとずき別紙目録表示の建物に対してなした仮処分の執行はこれを許さず、

との裁判を求める。

抗告の理由

一、本件異議申立の理由は要するに本件仮処分執行当時本件建物には、安藤喜三郎の占有はなく、抗告人のみの単独占有に係つていたというのである。

而して、原決定は、本件執行に際し、執行吏が本件家屋を安藤の占有にあるものと認定したことは正当であるとするのであるが、その理由として判示するところは、極めてあいまいであり、矛盾に満ち、且つ誤つている。

二、即ち、原決定は、甲第八号証、申立人(抗告人)本人尋問の結果により、本件執行当時、本件建物に右安藤は居住せず、申立人(抗告人)が居住していた事実は認めている。而も、右申立人(抗告人)の居住は、安藤と申立人(抗告人)間の賃貸借契約によるものであること、且つ本件執行に立当つた矢野久子は申立人(抗告人)に雇われていたものであることも認めている。然りとすれば、右安藤との間の賃貸借契約にもとずき本件建物に居住していた抗告人の占有は、安藤に対し独立別個のものであることは、それだけでも疑の余地のないところである。(加之原審の各証拠は十分にこの事を立証している。)然るに、原決定は、「果して申立人(抗告人)の右認定のような占有が、安藤の占有に対する従属的なものでなく、独立別個のものであつたことは疑わしいと断ぜざるを得ない」と全く何らの証拠にももとずかず、否むしろ証拠に反して(たとえば右認定によつても抗告人の占有は、安藤との賃貸借契約にもとずく占有であり、この占有が、安藤に対する従属的占有などという事はありえない)疑わしいというの理由で本件異議申立を棄却したのである。

三、のみならず、原決定を見ると、安藤が本件家屋を占有していたと認定すべき何らの証拠も示されていない。

即ち、原決定は、本件執行当時矢野久子が、本件家屋が抗告人の占有にかかることを積極的に執行吏に告げなかつたこと、執行当時抗告人の標札が掲げてなかつたこと、又相手方と安藤間の本件家屋明渡請求事件に於て、安藤が自白したことが認定されるというだけである。

然しながら、原審における証人矢野久子の訊問結果で明かなように、矢野は右執行当時何の事情もわからず、同人には関係ないことだからといわれて、求められるままに執行調書に署名押印したゞけであり、年少の婦人であり、一雇人に過ぎぬ同人が積極的に執行吏に対し、真実の占有者を告げなかつたという事が占有が安藤にあることの証拠たりうるわけはない。

又標札がなかつたというが原決定も認めるように、「日本橋ナイロン専門店」という看板が掲げてあり、同店名は安藤に関係なく、抗告人の営業店名であることが明かな以上、この看板が掲げてあつたことを以て占有が抗告人にあつたことは認定できても標札がないからといつて、占有が安藤にあつた等という理由にならないことも云うまでもない。

更に別件で安藤が自白したという事実があつても、安藤は既に本件家屋を占有せず、右訴訟の結果に何ら実質的利害がないのであるから、これを争うことなく自白することはいくらでもありうる。そのような安藤の自白によつて、安藤が本件家屋を占有している事の認定の証拠とする事も全く失当である。

右のように原決定には本件執行当時、本件建物の占有が安藤にあつたとする証拠は何にも示されていない。否そのような証拠は存在していないのである。

四、更に第二項に述べた通り、原決定は、原決定自ら認定せざるを得なかつた抗告人の占有が、安藤の占有に対する従属的なものでなく、独立別個のものであつたことは疑わしいという理由で抗告人の異議申立を棄却したが、抗告人は原審に於て、右安藤喜三郎を証人として申請している。

然るに原審裁判官は、右安藤は賃貸借契約に関するものだけで、占有関係に直接の関係はないからといつてこれを訊問せず、結審したのである。

然しながら、原決定の如き「疑」を有するならば、右安藤を証人として訊問すれば右の疑はたちどころに氷解したのである。

然らば、原審が右の如き理由により判断を定めようとした以上、抗告人が申請した右安藤を証人として訊問しなかつたことは明かに審理不尽のそしりを免れない。

五、以上の理由により、抗告人は原決定の理由及び原審の審理の不尽に対し、何としても承服することはできないので、本即時抗告に及んだものである。

物件目録

東京都中央区日本橋通二丁目二番地の一

家屋番号同町二番ノ三十六

一、木造ルーフインク葺

平家建店舗 一棟

建坪 四坪五合

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